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なぜ サッカー日本代表は 青くて、
3本足のカラス なのか?
「ベルリンの奇跡」が、ブルーのユニフォームの始まり
| ちなみにこんな話も・・・ |
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| 日本サッカーミュージアムで一般的な説明としてあげているのは、 「日本サッカーの草創期の最強チームが東京大学であり、青門にあやかったライトブルーのユニフォームを着ていたことから、そのまま日本代表のユニフォームの色に定着したという説」です。 残念ながら当時の写真では、ユニフォームの色は判別できないそうです。 |
日本代表が初参加したオリンピックが1936年ベルリンオリンピック、まだ第2次世界大戦前の話です。
日本は、当時の優勝候補のスウェーデンを第1回戦で破り、「ベルリンの奇跡」と呼ばれました。
その時のユニフォームの色がブルー。
国旗の色を採用する事が多い各国代表のユニフォームですが、ブルーは日本代表のラッキーカラーなのです。
ただ、その時のユニフォームが何故ブルーを採用したのかは、はっきりした説がありません。
「日本の国土を象徴する海と空の青」と説明される事が多いようです。
日本代表ユニフォームの歴史では、青以外のユニフォームを着ていた時代もあります。
ひとつは東京オリンピック、メキシコオリンピックの時代から始まる白いユニフォームの時代。ポイントに紺やブルーが使われる場合もあり、87年まで続いています。
| 最古のユニフォームを 見に行ってみよう |
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| 現存する最古の代表ユニフォームは、国立競技場の秩父宮記念スポーツ博物館にあります。 日本代表を応援に国立競技場に行く時に、足を伸ばしてみてはいかがでしょう。 秩父宮記念スポーツ博物館 |
もうひとつは、1988年〜1992年に着用した赤いユニフォームです。 「赤」といえば、お隣の韓国代表のユニフォームのイメージが強いのですが、当時の韓国代表は、青いユニフォームでした。両国とも不評だったそうです。この赤いユニフォームで日本代表は苦戦が続き、川淵三郎強化委員長(当時)により青いユニフォームに戻りました。
再び縁起のいいブルーを身にまとって、日本代表は、初めてのワールドカップ予選突破、ワールドカップベスト16入りなどの活躍をしています。2010年ワールドカップ南アフリカに向かって、これからもジャパンブルーはフィールドを駆け抜けてくれるでしょう。
勝利を導くヤタガラス
| ちなみにこんな話も・・・ |
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| 明治時代に日本に初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助(1878年〜1906年)が、熊野那智大社のある那智勝浦町生まれであったため、
その功績を偲んでヤタガラスに定められたとも言われています。 中村覚之助は、内野台嶺の先輩にあたります。 |
ヤタガラスの伝説は大変古く、「古事記」「日本書紀」に書かれています。
更にルーツをたどると、中国の古典「淮南子(えなんじ)」に、太陽の中に住むという三本足の烏の話があります。
ヤタガラスは太陽を象徴し、熊野の神の使いとされる三本足のカラスです。漢字で「八咫烏」。「八」はたくさん、「咫」は長さの単位(約18p)。つまりとても大きい烏です。
ヤタガラスは天の神から使わされ、熊野で神武天皇の道案内をして大和平定の手助けをしています。
ヤタガラスは、勝利の導き手、勝利のシンボルなのです。
1931年、日本サッカー協会は、ヤタガラスを協会のシンボルとしました。
シンボルマークは、日奈子実三のデザインによるもので、その図案の発案者は、東京高等師範学校の内野台嶺を中心とする人たちです。
旗の黄色は公正を、青色は青春を表わし、はつらつとした青春の意気に包まれた日本サッカー協会の公正の心構えを表現しています。
サッカー日本代表の公式ユニフォームのエンブレムとして採用されたのは、1987年からです。
熊野那智大社のホームページを訪れると、威厳にみちたヤタガラスが出迎えてくれます。
この熊野那智大社は、平安時代 蹴鞠(けまり)の名人藤原成通が技の奉納に訪れたともいわれ、蹴球に縁のある神社です。
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